互助的・互恵的な共同体が機能すると、消費活動は抑制される。
考えれば、当たり前のことである。
共同体に帰属していれば、耐久消費財のほとんどは「買わずに済む」からである。
誰かが持ってれば「貸して」で済む。
お金もうそうだ。
誰かが持っていれば「貸して」で済む。
銀行もサラ金も要らない。
金融商品もさっぱり売れない。
だから、後期資本主義は久しく全力を尽くして「共同体形成」に反対してきたのである。
資本主義に対する根底的批判の言葉が「資本主義打倒」ではなく「貧しいもの弱いものは団結しなければならない」という遂行的なテーゼであったことを見落としてはならない。
資本主義が「悪い」とされるのは、別にそのシステムが本質的に邪悪なものだからではない。
問題は、資本主義の活動性がある閾値を超えると、人々を分断し、孤立化させる点にある。
自己決定・自己責任論も、「自分探し」も消費主体を家族や地域や同業集団から切り離し、「誰とも財産を共有できないので、要るものは全部自分の財布から出したお金で買うしかない(金がないときはサラ金から借りる)生活」をデフォルトにすることをめざしてきたのである。
そんなことを訊かれても (内田樹の研究室) (via igi) (via harunoriyukamu) (via nosouth) (via otsune)
2010-01-11 (via gkojay) (via takaakik) (via deli-hell-me) (via motomocomo) (via iyoupapa) (via petapeta) (via softbear) (via komatak) (via shin3) (via yaruo)